「聖徳太子」という虚像 ~10人の声を一度に聞く伝説の真偽~

歴史の雑学

かぴです。

聖徳太子といえば、「10人の話を一度に聞き、1人1人に的確な返答を返した」という伝説が有名です。詳細には、以下のような伝説です。

 厩戸皇子がある時、人々の請願を聞く機会があった。我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したという。

 この故事に因み これ以降、皇子は豊聡耳(とよとみみ)とも呼ばれるようになった

しかしながら、10人の話を一度に聞くなんて、そんなの無理ですよね。だからこそ”伝説”なんですけれども。

10人の声を一度に聞く伝説の真偽

「10人の話を”一度”に…」

「10人の話を一度に聞く」の様子について、想像してみてください。

①自分のところに、10人もの大人が一気に駆け寄ってきて、我先にと話し出します。
②10人もいるところで相手に声を届けようとすれば、それなりに声量が要ります。
③結果、10人全員が他の人に負けじと大声を出し始めます。
④はい、大の大人が10人も自分を取り囲んで絶叫大会です。

 ↑皆さんは耐えられますか、コレ。「ちょっと…待って!!!順番に!!!!!」って思わず叫ぶんじゃないでしょうか。

 聖徳太子は、これに対して1人1人的確な答えを…となりますが、まずこの絶叫大会、全員の喉が潰れるまで終わらなさそうな気がしませんか。

 聖徳太子も朝廷の重大な役人ですから、忙しい身です。そんなの待っていられるはずがありません。

 というわけで、「普通に10人順番に並んでもらって、1人1人に話を聞いて答えを返した」が実態なのではないかとする説が濃厚なんだそうです。

 「一度に聞く」って、別に「同じ時間帯にその場にいた10人に順番に話を聞いた」でも「一度に」って言いますものね。嘘はついてない、ってわけです。

話してきたのは”人”ではない説

 しかしながらこの伝説、確かにすごいんですが、伝説として残すには少々物足りないエピソードではないか?と思いませんか。他の伝説では、聖徳太子は空を飛んだり、予言したりしてるんですが。

 実は、聖徳太子が話を聞いた「10人」というのは、人ではなく”国(クニ)”または”言語”だったのではないかという説があります。

マイナビ子育て「中学受験ナビ」から引用

 飛鳥時代は、大和政権が日本で一番強い国家であったことは間違いありませんでしたが、大和政権の支配が及ばない地域(クニ)もありました。また、豪族(クニ)同士の争いも絶えませんでした。
 そして大和政権は、上の図にあるように朝鮮半島の国々と交渉したり、中国には遣隋使を派遣するなど国交が行なっていました。そして中国はシルクロードで西方の国々と繋がっていましたから、中国を介して様々な国の人や文化に触れる機会がありました。

 すると、大和政権にはいろんな「主張」が届きます。大和政権の支配に下る/下らないの主張、豪族同士の争いの仲裁をしてほしいという主張、または喧嘩中の豪族の主張。朝鮮半島の百済の主張、伽耶の主張、新羅の主張、高句麗の主張、中国の隋の主張、もっと西方にある国の主張。
 また、江戸時代の日本旅行は通訳が必要だったというくらい、地方によって言語が違いましたし、海外ともなれば当然外国語なので言語は全く違います。

 そう、大和政権は、多種多様な「国(クニ)」の主張や「言語」を聞く機会に溢れていたのです。

 そして1つ1つの声に対して、大和政権は返答をする。

 もう、お判りですね。

 この様子を、大和政権=聖徳太子、たくさんの国(クニ)=10人として伝えられ、伝説となったのではないか。そういう説があります。

 聖徳太子のモデルとなった厩戸皇子は皇族ですので、大和政権の中心部にいたことは間違いありませんから、もし彼が外務大臣のような役割を担っていたとすれば、なるほどと言える説ですね。

まとめ

 「10人の話を1度に聞く」は、スーパーマンとはいえさすがに無理がありますが、上のような説が本当だったならば、不可能なことではないと思えますよね。

 火のないところに煙は立たぬ、と言いますが、このような伝説が残っているのは芯の部分に「本当の話」が混じっているからだと考えると、やっぱりすごい人だったんなと思えますね。

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